クレスピ・ダッダ
Crespi d'Adda
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時間の物差し
前3000年起点 1869年現在
成り立ち
1869年、繊維業者クリストフォロ・ベニーニョ・クレスピは、綿紡績工場を建てるため、北イタリアのブレンボ川とアッダ川にはさまれた谷を買った。工場は1878年7月に動き出し、同じ年に隣に労働者の住宅が建ち始めた。1889年には、イングランドのオールダムで過ごしたことのある息子シルヴィオが工場の支配人になった。
シルヴィオは庭つきの住宅を好み、それが調和を生み、労働争議を防ぐと考えた。村には学校、診療所、消費組合、劇場、共同洗濯場、そして住民に無料で電気を送る水力発電所が整えられた。1893年11月には一家の故郷ブスト・アルシーツィオの聖堂を写した教会が開かれ、1893年から1894年に一家の館、1908年11月に一族の霊廟をもつ墓地ができた。工場は最盛期に約3200人を雇った。
村は1920年代後半にほぼ完成したが、1929年の大恐慌などで一家は町ごと手放した。1970年代に入ると住宅の多くが個人に売られ、工場はのちに生産を終えた。19世紀から20世紀初めの企業城下町の姿をほぼそのまま残すことから、1995年に世界遺産に登録された。
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