石窟庵と仏国寺
Seokguram Grotto and Bulguksa Temple
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時間の物差し
前3000年起点 751年現在
成り立ち
石窟庵と仏国寺は、新羅の都だった慶州の吐含山の斜面に約3km離れて立つ。宰相の金大城が751年に建立を始め、現世の両親のために仏国寺を、前世の両親のために石窟庵を造ったと伝えられる。工事は彼の死後、774年に新羅の朝廷によって完成した。
石窟庵は花崗岩で組み上げた人工の石窟で、前室、通路、円形の主室からなる。ドーム状の天井と通路は360枚以上の石板で造られ、主室には海の方を向く釈迦如来とされる座像が置かれ、菩薩や弟子の浮き彫りが周りを囲む。仏国寺は石の基壇の上に木造の堂が並び、大雄殿の前に釈迦塔と多宝塔の2つの石塔が立つ。
仏国寺の木造の堂は文禄・慶長の役で焼け、1604年以降に再建された。石窟庵は20世紀初めまでに荒れ、1913年から1915年に解体して組み直され、コンクリートで覆われたが、これが湿気を招いた。1960年代に2重目のドームが加えられ、内部は今ガラス越しに見る。1995年に世界遺産に登録された。
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