レドニツェとヴァルチツェの文化的景観
Lednice-Valtice Cultural Landscape
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成り立ち
チェコ南モラヴィアのレドニツェとヴァルチツェは、13世紀半ばからリヒテンシュタイン家の領地だった。一族は17世紀から20世紀にかけて、2つの領地を1つの大きな庭園のようにつくり変えた。1715年には2つの城を結ぶ約7kmの並木道ができた。
ヴァルチツェ城はヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エアラッハらの手でバロックの姿になった。レドニツェ城は1570年ごろのルネサンスの館に始まり、1846年から1858年にネオ・ゴシックに建て直された。19世紀初めにはディエ川に新しい流路を掘り、池のまわりに英国風の小さな庭園を配した。
この間、ヴァルチツェはオーストリア、レドニツェはボヘミアに属し、境界が庭園を通っていた。1919年の条約でヴァルチツェはチェコスロヴァキアに入った。一族は1939年にファドゥーツへ移り、戦後に領地は没収された。1996年に世界遺産に登録された。
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