写真: 「Canal du Midi, Carcassonne, Languedoc-Roussillon, France - panoramio (25)」M.Strīķis / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり
ミディ運河
Canal du Midi
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時間の物差し
前3000年起点 1666年現在
成り立ち
大西洋と地中海を運河で結ぶ構想は、アウグストゥスやシャルルマーニュ、フランソワ1世らが夢見てきた。ラングドックの裕福な塩税徴収人ピエール=ポール・リケは、1662年にトゥールーズ大司教を通じてルイ14世に計画を届けた。最大の難題は分水嶺にあたるノルーズの峠に水を集めることで、リケはモンターニュ・ノワールの川の水を引く案を立て、1665年11月9日、自費20万リーヴルで造った試験水路に水を通してみせた。
1666年10月、コルベールが王の勅令で工事を認めた。サン・フェレオルには長さ700m、高さ30mのダムが築かれ、15年にわたっておよそ1万2000人が働いた。リケは雨の日や日曜・祝日の休みに加え、病気の間の賃金も払った。費用は1700万〜1800万リーヴルにのぼり、王と州が4割ずつ、リケが2割を負担した。
リケは1680年10月に亡くなり、1681年5月15日の開通を見ることはなかった。1686年に点検したヴォーバンは傷みを見つけ、水源と貯水池を強める工事を命じた。UNESCOによれば、1667〜1694年に築かれた水路網は全長360km、328の構造物をもち、産業革命への道を開いた。ミディ運河は1996年に世界遺産に登録された。
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