アイガイ
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成り立ち
アイガイは古代マケドニア王国の最初の都で、ギリシャ北部、現在のヴェルギナとパラティツィアの間、ピエリア山地のふもとにあった。名は「山羊」を意味する語に由来し、ディオドロスはペルディッカス1世がデルフォイの神託に従い「白い角の山羊が夜明けに休む場所」に都を築いたと伝える。墓域には300を超える墳丘があり、UNESCOによれば一部は前11世紀にさかのぼる。
前5世紀前半、アイガイは王国の都として栄え、アルケラオス1世の宮廷にはギリシャ各地から芸術家や詩人が招かれ、エウリピデスはここで最後の悲劇を書いた。前4世紀初めに都がペラへ移った後も、アイガイは王家の聖地であり王墓の地であった。フィリッポス2世は娘の婚礼の際にこの町の劇場で暗殺され、息子アレクサンドロスがその場で王と宣言された。前168年にローマがマケドニア王国を倒すと町は焼かれ、住民はしだいに平野へ移った。
遺跡は19世紀に再発見され、1861年からフランスのレオン・ウゼーが発掘した。1977年、ギリシャの考古学者マノリス・アンドロニコスが大墳丘を掘り、4基の墓のうち2基が古代から手つかずのまま残っているのを見つけた。アンドロニコスは第2墓をフィリッポス2世の墓とし、UNESCOもその説明をとる。遺跡は1996年に世界遺産に登録された。
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