ザルツブルク市街の歴史地区
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成り立ち
ザルツブルクの旧市街の地には、新石器時代から人が住み続けてきた。紀元前15年にローマが進出すると、丘の上の集落は捨てられ、いまの旧市街の場所にローマの町が築かれた。この町ユウァウムは45年に自治都市の地位を得て、ノリクム属州の重要な都市の一つとなった。
696年ごろ、司教ルペルトはバイエルン公テオド2世からローマの町の跡を贈られた。ルペルトはいまの大聖堂の場所に聖ペーター教会を建て、修道院とノンベルクの女子修道院も創ったとされる。町は739年に司教座、798年に大司教座となった。ザルツブルクという名は、ザルツァハ川を下った塩の船に由来し、1077年には大司教ゲープハルトが丘の上にホーエンザルツブルク城塞を築いた。
大司教は神聖ローマ帝国の領邦君主として町を治め、16世紀末から17世紀のヴォルフ・ディートリヒ・フォン・ライテナウ、マルクス・シッティクス、パリス・ロドロンの時代に最も栄えた。1598年に大きく傷んだ古い大聖堂をヴォルフ・ディートリヒは取り壊させ、イタリアの建築家ヴィンチェンツォ・スカモッツィに新しい設計を頼んだ。1614年に礎石が置かれ、サンティーノ・ソラーリが案を大きく改めた大聖堂は1628年9月24日に献堂された。1756年にこの町で生まれたモーツァルトもここで洗礼を受けた。1803年に大司教領は世俗化され、1996年に旧市街は世界遺産に登録された。
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