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ラヴェンナの初期キリスト教建築物群

Early Christian Monuments of Ravenna
WHC 7881996年登録44.42°N 12.20°EWikipedia 51言語

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時間の物差し
前3000年起点 402年現在

成り立ち

ラヴェンナは402年に西ローマ帝国の首都となり、476年には最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスがここで廃位された。皇帝ホノリウスの妹ガッラ・プラキディアが建てさせたとみられる小さな礼拝堂は425〜450年の建築で、濃い青の地に金の星を散らしたモザイクの天井をもつ。「ガッラ・プラキディア廟」と呼ばれるが、これは13世紀からの誤解で、彼女はローマで没してそこに葬られた。

東ローマ皇帝の命でイタリアに入った東ゴート王テオドリックは、3年の包囲の末に493年にラヴェンナを奪い、東ゴート王国の都とした。アリウス派のキリスト教徒だった王は、504年に宮殿の礼拝堂(今のサンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂)を献堂し、520年には自らの墓廟を築いた。墓廟の屋根は、直径10m、重さ230トンの一枚の石でできている。

540年、ユスティニアヌス帝の将軍ベリサリウスがラヴェンナを征服し、町はビザンツ帝国のイタリア支配の中心となった。サン・ヴィターレ聖堂は547年に司教マクシミアヌスのもとで完成し、地元の銀行家ユリウス・アルゲンタリウスが費用2万6000ソリドゥスを出した。後陣の両側の壁には、同じ547年にできた皇帝ユスティニアヌスと皇后テオドラのモザイクがある。こうした5〜6世紀の8つの建造物が、1996年に世界遺産に登録された。

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