ピエンツァ市街の歴史地区
Historic Centre of the City of Pienza
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時間の物差し
前3000年起点 1459年現在
成り立ち
ピエンツァはもとコルシニャーノという村で、9世紀の文書に現れる。1405年、人文主義者エネア・シルヴィオ・ピッコローミニがここで生まれ、1458年に教皇ピウス2世となった。教皇は1459年2月に生まれ故郷を訪れて村人の暮らしの貧しさに心を痛め、村を建て直して夏の宮廷とすることを決め、町は「ピウスの町」ピエンツァと改められた。
改造を任されたのは、ローマでレオン・バッティスタ・アルベルティの影響を受けたフィレンツェの建築家ベルナルド・ロッセリーノで、工事は1459年に始まった。ロッセリーノは中世の目抜き通りを残しつつ、台形のピオ2世広場の周りに大聖堂、ピッコローミニ宮、司教館を配した。大聖堂は1462年8月29日に教皇自らが献堂し、同じ年に町は司教座となった。
ピッコローミニ宮はフィレンツェのルチェッライ宮にならい、裏手の3層のロッジアからは庭越しにオルチャの谷が見渡せる。1463年、教皇は古いプレトーリオ宮を買い取って枢機卿ロドリゴ・ボルジアに与え、町民のための家も建てさせた。人文主義の都市計画が初めて形になった町は1996年に世界遺産に登録された。
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