エウフラシウス聖堂
Euphrasian Basilica
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時間の物差し
前3000年起点 553年現在
成り立ち
クロアチアのイストラ半島のポレッチでは、4世紀にキリスト教が根づいた。最も古い段階は大きなローマの家の中の小さな礼拝堂で、地元の殉教者マウルスの遺骨を納めていた。その床のモザイクは今も教会の庭に残る。
553年、司教エウフラシウスは古くなった聖堂の跡に新しい聖堂を建て始め、工事は約10年かかった。大理石はマルマラ海の沿岸から運ばれ、壁のモザイクはビザンツの職人、床のモザイクは地元の職人が手がけた。後陣のモザイクには、聖堂を手にしたエウフラシウスが聖マウルスと並んで描かれている。司教は前庭、洗礼堂、司教館、小さな記念礼拝堂も建てた。
1277年には司教オットーがヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂にならった大理石の天蓋を造らせ、16世紀に鐘楼が加わった。この種の複合施設として最も完全に残るものとされ、1997年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。