昌徳宮
Changdeokgung
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時間の物差し
前3000年起点 1404年現在
成り立ち
1404年、朝鮮王朝の太宗は都を開城から漢陽(今のソウル)に戻し、正宮の景福宮とは別に離宮の造営を命じた。工事は同じ年に始まり、1405年に第1期が完成した。宮は「徳を昌らかにする」の意で昌徳宮と名づけられた。
宮は北岳山のふもとの地形に合わせて建物を配し、後ろの庭園には5万6000本を超える木や草がある。正宮の景福宮より格は下だったが、多くの王がこちらに住むことを好んだ。
1592年の戦乱で都のすべての宮殿が焼けると、昌徳宮は最初に建て直され、その後約250年にわたり王朝の主な宮殿となった。1907年に即位した最後の王純宗はここを正式な宮殿とした。1997年に世界遺産に登録された。
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