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サン・ルイス歴史地区
写真: Prburley / CC BY 4.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

サン・ルイス歴史地区

Historic Centre of São Luís
WHC 8211997年登録2.53°S 44.31°WWikipedia 7言語

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時間の物差し
前3000年起点 1612年現在

成り立ち

1612年、フランス王ルイ13世の命を受けたダニエル・ド・ラ・トゥーシュとフランソワ・ド・ラジイが、ブラジル北部の島に砦を築いた。島は先住民トゥピナンバの言葉でウパオン・アスと呼ばれ、砦は王にちなんでサン・ルイと名づけられた。だがフランス人がいたのは2年ほどで、1615年にポルトガルのジェロニモ・デ・アルブケルケがグアシェンドゥバの戦いで彼らを追い出した。

1615年、ブラジルの主任技師フランシスコ・フリアス・デ・メスキタが町の防備とともに都市計画を描いた。曲がりくねった道のリオやオリンダと違い、それは規則正しい碁盤の目の町割りだった。1641年にはオランダ人が町を奪ったが、数年で去った。人口は17世紀末に約1万人、その1世紀後に約1万7000人となり、1755年にはポンバル侯爵のもとでグラン・パラ・マラニャン総合貿易会社が設けられた。

18〜19世紀、土壁の家は石造りに替わり、外壁を覆うアズレージョ(彩色タイル)が町の顔となった。この地方で最初に路面電車やガス灯、電話を備えたのもこの町だった。1920年代から長い停滞が続いたことで町並みはそのまま残り、約4000棟の建物が並ぶ200haの歴史地区は1997年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。