サン・ルイス歴史地区
Historic Centre of São Luís
Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。
アプリで記録する
朱印・行きたい・立った年は、iPhoneアプリで記録します。
時間の物差し
前3000年起点 1612年現在
成り立ち
1612年、フランス王ルイ13世の命を受けたダニエル・ド・ラ・トゥーシュとフランソワ・ド・ラジイが、ブラジル北部の島に砦を築いた。島は先住民トゥピナンバの言葉でウパオン・アスと呼ばれ、砦は王にちなんでサン・ルイと名づけられた。だがフランス人がいたのは2年ほどで、1615年にポルトガルのジェロニモ・デ・アルブケルケがグアシェンドゥバの戦いで彼らを追い出した。
1615年、ブラジルの主任技師フランシスコ・フリアス・デ・メスキタが町の防備とともに都市計画を描いた。曲がりくねった道のリオやオリンダと違い、それは規則正しい碁盤の目の町割りだった。1641年にはオランダ人が町を奪ったが、数年で去った。人口は17世紀末に約1万人、その1世紀後に約1万7000人となり、1755年にはポンバル侯爵のもとでグラン・パラ・マラニャン総合貿易会社が設けられた。
18〜19世紀、土壁の家は石造りに替わり、外壁を覆うアズレージョ(彩色タイル)が町の顔となった。この地方で最初に路面電車やガス灯、電話を備えたのもこの町だった。1920年代から長い停滞が続いたことで町並みはそのまま残り、約4000棟の建物が並ぶ200haの歴史地区は1997年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。