サヴォイア王家の王宮群
Residences of the Royal House of Savoy
Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。
アプリで記録する
朱印・行きたい・立った年は、iPhoneアプリで記録します。
時間の物差し
前3000年起点 1562年現在
成り立ち
1562年、サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトは公国の都をトリノに移し、新しい都の計画を立てた。中心には王宮、キアブレーゼ宮、県庁舎が並ぶ「指令の地区」が置かれ、政治と行政と文化の拠点となった。
都の周りには、リヴォリ、モンカリエーリ、ヴェナリアの城館が「歓楽の冠」と呼ばれる輪をつくり、さらに外側にラッコニージ、ゴヴォーネ、アリエ、ポッレンツォが並んだ。カルロ・エマヌエーレ1世と妃がこの計画を進め、17世紀から18世紀に一帯はバロックの姿になった。設計にはアスカニオ・ヴィトッツィ、アメデオ・ディ・カステッラモンテ、グアリーノ・グアリーニ、フィリッポ・ユヴァッラ、ベネデット・アルフィエーリらが加わった。
19世紀にサヴォイア家のカリニャーノ系が政権を握ると、関心は郊外の離宮に移り、バロックの計画は捨てられた。トリノの中心に11、周りに放射状に11、合わせて22の宮殿と別荘が1997年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。