アクイレイアの遺跡地域と総大司教座聖堂のバシリカ
Archaeological Area and the Patriarchal Basilica of Aquileia
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時間の物差し
前3000年起点 前181年現在
成り立ち
アクイレイアは前181年、ローマがポー平原の北東、ナティソ川のほとりに築いたラテン植民市である。ガリア人やイストリア人に備える辺境の拠点として始まり、やがて中央ヨーロッパと地中海を結ぶ交易の町に育った。バルト海の琥珀を運ぶ琥珀の道の南の終点でもあり、前90年には住民が完全なローマ市民権を得た。
313年のミラノ勅令の後、司教テオドルスが聖堂を建てた。452年にはアッティラ率いるフン族が町を略奪し、生き残った人々は聖堂の周りの小さな集落に移った。聖堂は9世紀に司教マクセンティウスのもとで再建が始まり、1031年に総大司教ポッポのもとで完成した。同じ年に高さ73mの鐘楼もでき、石材には円形闘技場の石が使われた。
1909年、11世紀の床の下から4世紀のモザイク床が見つかった。37m×20mの床にはヨナの物語や漁をする人々が描かれている。ローマ都市の大半はいまも町や畑の下に眠っており、遺跡地域と聖堂は1998年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。