ウルビーノ歴史地区
Historic Centre of Urbino
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時間の物差し
前3000年起点 前300年現在
成り立ち
ウルビーノはイタリア中部マルケ州の丘の町で、紀元前3世紀から紀元前2世紀のローマの城壁がその始まりである。12世紀の終わりにモンテフェルトロ家の支配下に入った。1444年から1482年まで町を治めたフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロは傭兵隊長として名を上げ、ルチャーノ・ラウラーナ、フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、パオロ・ウッチェロらを宮廷に招いた。
ダルマチア出身のラウラーナとフランチェスコ・ディ・ジョルジョが手がけた新しい公爵宮殿は、中世の建物を取り込みながら町の骨組みを壊さずに建てられた。1483年にはラファエロがこの町で生まれ、1506年には公爵グイドバルドが大学のもとになる学院を開いた。バルダッサーレ・カスティリオーネの「宮廷人」は、1507年にこの宮殿で交わされた会話という形で書かれている。
1508年に町はデッラ・ローヴェレ家に移り、1523年に宮廷がペーザロへ移ると衰えが始まった。1631年から1860年まで教皇領に組み込まれ、経済も文化も停滞したことで、ルネサンスの町並みがそのまま残った。20世紀後半には建築家ジャンカルロ・デ・カルロが歴史地区の再生計画を立てた。1998年に世界遺産に登録された。
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