テトゥアン(旧名ティタウィン)旧市街
Medina of Tétouan
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時間の物差し
前3000年起点 1286年現在
成り立ち
テトゥアンはモロッコ北部の町で、8世紀からモロッコとアンダルスを結ぶ窓口であった。1286年にマリーン朝がここにカスバとモスクを建て、1305年にはスルタンのアブー・サービトが町を広げて要塞化し、セウタを攻める拠点とした。1399年、海賊の基地になっていたことからカスティーリャ軍に破壊された。
15世紀の終わり、レコンキスタで追われたムスリムとユダヤ人の難民がこの廃墟を建て直した。グラナダ最後の王ボアブディルに仕えた隊長アリー・アル=マンダリの率いるアンダルスの人々は、まず城壁を築き、その中を家で埋めた。町の芸術と建築には、今もはっきりとアンダルスの影響が見える。
町はのちに私掠船の拠点となり、捕虜を入れた地下の牢獄「マスモラ」はセルバンテスの作品にも出てくる。テトゥアンはモロッコのメディナのなかで小さなものだが、最も完全な姿を保ち、その後の外からの影響をほとんど受けていない。1997年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。