ヒロキティア
Khirokitia
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時間の物差し
前3000年起点 前7000年現在
成り立ち
キプロス南部のヒロキティアの村は、放射性炭素年代によると紀元前7000年ごろに開かれた。村は最大で約3ヘクタールに広がり、日干しれんがと石で造った円形の家が小さな中庭を囲んで建ち並んだ。死者は家の床下に掘った穴に、膝を曲げた姿で葬られた。
村は何度も築き直された壁に守られ、残る石壁は厚さ2.5メートル、高さは最大3メートルある。丘の上では村への入り口となる複雑な構造も見つかった。キプロスは先史時代に近東からヨーロッパへ文化を伝える役割を担い、この村はその過程を示す遺跡とされる。
遺跡は1934年にポルフィリオス・ディカイオスが見つけ、彼は1946年までに6回の発掘を行った。発掘されたのは一部だけで、残りは将来の研究のために手つかずのまま残る。遺跡の外には5棟の家と防壁の一部が復元され、1998年に世界遺産に登録された。
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