クロムニェジーシュの庭園と城
Gardens and Castle at Kroměříž
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時間の物差し
前3000年起点 1500年現在
成り立ち
クロムニェジーシュの町は13世紀からオロモウツ司教の所領だった。フス戦争で司教は町を失い、取り戻したのは1470年代である。1500年、司教スタニスラフ・トゥルゾは古い城を、ルネサンスの細部をもつ後期ゴシックの住みやすい館に建て替えた。
三十年戦争中の1643年、スウェーデン軍が城を略奪した。1664年、リヒテンシュタイン=カステルコルン家出身の司教がフィリベルト・ルケーゼにバロック様式での改修を命じ、1666年にルケーゼが死ぬと、ジョヴァンニ・ピエトロ・テンカラが館を建て直し、整形庭園を仕上げた。約14.5haの花の庭園は1665-1675年に設計され、長さ244mのアーケードの回廊から入る。
1752年3月の大火で城の内部は焼けた。司教ハミルトンはフランツ・アントン・マウルベルチュらに広間の装飾を任せた。約58haの城下の庭園は18世紀末から19世紀初めに風景式に改められ、1846年にはポンペイの彫刻を置く列柱廊が建った。城はティツィアーノの「マルシュアスの皮剥ぎ」を含む美術コレクションを持つ。1998年に世界遺産となった。
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