リヨン歴史地区
Vieux Lyon
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時間の物差し
前3000年起点 前43年現在
成り立ち
リヨンはフランスの都市で、ケルト時代にはすでに集落があった。紀元前43年、ローマ元老院の命でルキウス・ムナティウス・プランクスが戦争難民のための植民市ルグドゥヌムを開いた。町は三つのガリアの首都となり、皇帝クラウディウスはここで生まれた。フルヴィエールの丘には、いまもローマの遺跡が見える。
ソーヌ川とフルヴィエールの丘の間のヴュー・リヨン(旧市街)には、1160〜1481年に建てられたサン・ジャン大聖堂と、ヨーロッパでも有数の規模のルネサンス期の街並みが残る。15世紀末にイタリア商人がもたらした定期市で町は富み、サン・ポール地区にはイタリア人の銀行家兼商人が邸宅を構えた。建物を通り抜ける通路「トラブール」がこの街並みをつないでいる。
19世紀にはクロワ・ルースの丘に絹織工(カニュ)が集まり、1831年と1834年に大きな蜂起を起こした。1964年、ヴュー・リヨンはマルロー法でフランス初の保全地区となった。1998年、ローマ時代から20世紀までの427haが世界遺産に登録された。
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