中世市場都市プロヴァン
Provins
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成り立ち
プロヴァンはパリの南東、かつてのシャンパーニュ伯領にある町である。ローマ時代のガリアでは二つの街道が交わる場所にあり、カール大帝は巡察使をこの町に送った。シャンパーニュ伯の保護のもとで、プロヴァンは中世ヨーロッパの交易を支えたシャンパーニュの大市の開催地の一つとなった。
上の町では5月と11月の年2回、下の町では9月に年1回、大市が開かれた。大市は1120年から1320年まで続き、羊毛産業も栄えた。12世紀の城壁やセザール塔、商人の住まいや店、帳場として使われた上の町の建物は、大市のために造られた町の形を今に伝える。シャンパーニュ伯アンリ1世は、エルサレムから持ち帰った聖キリアクスの頭部を納めるためにサン・キリアス参事会教会を建てた。
13世紀の終わりに国王フィリップ4世が重い税を課すと町の繁栄は終わり、住民は町を離れた。14世紀から16世紀にかけて町はたびたび包囲され、持ち主が変わった。産業革命の影響をほとんど受けず、19世紀を通じて小さな市場町のままだった。シャンパーニュの四つの大市の町のうち中世の姿をよく残すのはプロヴァンだけで、2001年に世界遺産に登録された。
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