StoodmarkEN
ヴァルトブルク城
写真: A.Savin / FAL / Wikimedia Commons · トリミングあり

ヴァルトブルク城

Wartburg
WHC 8971999年登録50.97°N 10.31°EWikipedia 58言語

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時間の物差し
前3000年起点 1067年現在

成り立ち

ヴァルトブルク城は、テューリンゲン州アイゼナハの町を見下ろす崖の上に建つ。1067年ごろ、ルートヴィヒ・デア・シュプリンガーが城の基礎を築き、城の名は1080年、メルゼブルク司教ブルーノの著作に初めて現れる。その子ルートヴィヒ1世は1131年にテューリンゲン方伯に取り立てられ、方伯たちは12世紀後半に宮殿棟パラスを建てた。

1172〜1211年、方伯ヘルマン1世の宮廷はドイツで最も重要な宮廷の一つとなり、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデやヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハら詩人を庇護した。1211〜1228年には、のちに聖人となるハンガリー王女エリーザベトが城で暮らした。1521年5月から翌年3月まで、ヴォルムス帝国議会のあと保護のためここに移されたマルティン・ルターは「騎士ゲオルク」と名乗ってひそみ、新約聖書をギリシア語からドイツ語へわずか10週間で訳した。

1817年10月18日、宗教改革300年とナポレオンに対する勝利を祝って約500人の学生が城に集まり、ドイツの統一を訴えた。1838年にザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・アレクサンダーが再建を命じ、建築家フーゴ・フォン・リトゲンのもとで城は国民的な記念建造物として建て直された。この城はバイエルン王ルートヴィヒ2世がノイシュヴァンシュタイン城を建てる際の大きな手本となり、1999年に世界遺産に登録された。

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