オラシュチエ山脈のダキア人の要塞群
Dacian Fortresses of the Orăștie Mountains
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成り立ち
オラシュチエ山脈のダキア人の要塞群は、ルーマニア中西部、トランシルヴァニア・アルプスの支脈の麓に残る6つの要塞である。紀元前1世紀から紀元1世紀にかけて、ローマの征服に備えてダキア王国が築いた。サルミゼゲトゥサ・レギア、コステシュティ=チェタツィエ、コステシュティ=ブリダル、ピアトラ・ロシエ、バニツァ、カパルナからなり、デケバルス王の防衛網の中核をなした。
王ブレビスタは治世の終わりに都をアルゲダヴァからサルミゼゲトゥサに移し、都はデケバルス王のもとで最盛期を迎えた。標高約1200mの丘に城壁と聖域、居住区が並び、陶製の管で飲み水を配っていた。聖域には長方形の神殿と円形の聖所があり、鍛冶場からは鎌や鋤など約400点の金属製品が見つかっている。要塞は古典世界の軍事や宗教の建築とヨーロッパ後期鉄器時代の技術を合わせたものである。
102年、第一次ダキア戦争の終わりにトラヤヌス帝のローマ軍がサルミゼゲトゥサの城壁を一部壊し、105〜106年の包囲で都は落ちた。要塞群は2世紀初めにローマに征服され、ローマは約40km離れた場所に新しい都ウルピア・トラヤナ・サルミゼゲトゥサを築いた。1999年に世界遺産に登録された。
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