武夷山
Wuyi Mountains
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時間の物差し
前3000年起点 前100年現在
成り立ち
福建省の武夷山では、約4000年前から人が山の斜面に住んでいた。前漢の時代、紀元前1世紀には閩越国の都として城村に大きな城が築かれ、その厚い城壁がいまも遺跡を囲む。崖の岩陰には、木の船の形をした棺が残る。
7世紀には皇帝が祭祀を行う武夷宮が建てられ、山は道教、のちに仏教の拠点になった。1183年、儒学者の朱熹がここに紫陽書院を開いた。北宋から清までに建てられた35の書院の跡と60を超える道観が残り、ユネスコは武夷山を新儒学(朱子学)の揺籃の地としている。
13世紀から17世紀には、朝廷が茶の生産を管理する役所を置いた。大紅袍などの岩茶や正山小種の産地で、初期の西洋の文書には「ボヘア・ヒルズ」の名で現れる。1979年から厳格に保護され、1999年に文化と自然の複合遺産として登録された。
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