エルチェの椰子園
Palmeral of Elche
Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。
アプリで記録する
朱印・行きたい・立った年は、iPhoneアプリで記録します。
成り立ち
スペイン南東部のエルチェでは、ローマ人がヴィナロポ川にダムを築いて町へ水を引いた。10世紀にコルドバのカリフ国は町を今の場所へ移し、北アフリカの技術で水路を張り巡らせ、10世紀後半にはナツメヤシを植えた。ヤシはウエルトと呼ばれる長方形の畑の縁に格子状に並べられた。
ヤシは土の流出と水の蒸発を防ぎ、作物に日陰を与えた。夏は30度を超え、年間降水量が250mmに満たない土地で、ヤシの下ではザクロや穀物、家畜の飼料が育てられた。13世紀にエルチェを征服したキリスト教徒の王たちは水路を引き継いで広げ、枝の主日に使う白いヤシの葉を編む習わしもここで始まった。
19世紀末からの工業化と市街地の広がりで園は縮んだ。1933年に伐採が禁じられ、1943年には町のすべてのヤシ園が芸術庭園に指定された。2000年、UNESCOはヨーロッパ大陸でアラブの農業の方法を伝えるただ一つの例として世界遺産に登録した。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。