アンブヒマンガの丘の王領地
Ambohimanga
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成り立ち
アンブヒマンガは、マダガスカル中央高地、イメリナ地方の丘である。言い伝えでは、1700年ごろ王位を追われた王子アンドリアンブルナが、人の住まない丘の頂に家族と移り住んだのが始まりとされる。18世紀初め、王アンドリアマシナヴァルナはイメリナを4つに分け、息子に北東部を治めさせ、アンブヒマンガをその都とした。丘の今の名もこの王が付けた。
国の分裂は77年に及ぶ内戦を招いた。それを終わらせたのが、アンブヒマンガから出た王アンドリアナンプイニメリナである。1793年までにイメリナを再び統一し、宮廷をアンタナナリヴに移したうえで、アンブヒマンガを王国の聖なる都とした。ユネスコによれば、この王朝のもとでマダガスカルは近代国家となり、1817年に国際的に認められた。
丘の上の王宮は、堀と石の壁に囲まれ、14の門で守られている。王たちの墓、聖なる泉、生贄の牛の囲いが残る。1897年、フランスの植民地となって王家が追放されると、王たちの遺骸は丘から移された。今も各地から巡礼者が訪れる。2001年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。