サン=ルイ島
Island of Saint-Louis
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時間の物差し
前3000年起点 1659年現在
成り立ち
1659年、フランスはセネガル川の河口近くの砦を、地元でンダールと呼ばれていた島へ移した。
砦によって交易所はセネガル川の取引を握り、奴隷、金、皮革、蜜蝋、のちにはアラビアゴムが積み出された。17〜18世紀にはフランス人とアフリカ人の血を引くメティスの商人社会が育ち、「シニャール」と呼ばれる女性の企業家たちが知られた。1854年に総督となったルイ・フェデルブは橋や上水道、ダカールへの電信線を整え、町は1872年から1957年までセネガルの首都であった。
河口の島という立地、規則正しい街路、岸壁の連なり、植民地時代の建物が町の姿をつくっている。1895年から1902年まではフランス領西アフリカ全体の首都でもあったが、その役割はダカールへ移り、独立後は町の店や事務所の多くが閉じた。2000年に世界遺産に登録された。
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