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ディオクレティアヌス宮殿のあるスプリトの歴史的建造物群
写真: 「Peristyle of Diocletian's Palace, Split (11908116224)」Following Hadrian / CC BY-SA 2.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

ディオクレティアヌス宮殿のあるスプリトの歴史的建造物群

Historical Complex of Split with the Palace of Diocletian
WHC 971979年登録43.51°N 16.44°EWikipedia 52言語

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時間の物差し
前3000年起点 295年現在

成り立ち

ローマ皇帝ディオクレティアヌスは、ダルマティア属州の中心都市サロナから南西へ約6kmの半島に、退位後の住まいとして城砦のような宮殿を築かせた。工事は四帝統治が始まった295年頃に始まったとみられ、皇帝が305年5月1日に退位したときもまだ終わっていなかった。白い石灰岩の多くは近くのブラチ島から運ばれた。

7世紀、サロナがアヴァール人とスラヴ人の侵入でほぼ破壊されると、逃れた住民の一部が宮殿の頑丈な壁の内側に住み着き、ここに新しい町が生まれた。以来、宮殿には人が住み続け、地下室や壁の中にまで家や店が入り込んでいる。皇帝の霊廟は聖ドムニウス大聖堂となり、12〜14世紀の自治都市の時代には、ロマネスク様式の鐘楼が加えられ、通りや船着き場の空き地まで家で埋まった。

中世のあと、宮殿はヨーロッパのほかの地域ではほとんど知られていなかった。12〜13世紀のロマネスク様式の教会、中世の城壁、15世紀のゴシック様式の館、ルネサンスとバロックの館が古代の宮殿に重なる町は、1979年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。