ライヒェナウ島
Reichenau Island
Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。
時間の物差し
前3000年起点 724年現在
成り立ち
ボーデン湖に浮かぶライヒェナウ島は、724年まで無人だった。この年、修道士ピルミンがフランク王国のカール・マルテルの支援を得て、島に修道院を開いた。ピルミンは地元のアレマン人の公フナビと対立し、727年に島を去った。
修道院はカロリング朝とオットー朝の保護のもとで栄え、ミッテルツェルの十字形のバシリカは816年に献堂された。修道院長を務めた詩人ヴァラフリド・ストラボや学者ヘルマンらがここから出て、10世紀後半から11世紀初めには、豪華な装飾写本をつくるヨーロッパ有数の工房となった。オーバーツェルの聖ゲオルク教会には、アルプス以北で唯一、ほぼ完全に残る1000年以前の物語壁画がある。
1540年にコンスタンツ司教が島の領主となると、修道院の力は衰えた。修道院領は1757年と1803年の世俗化で解かれ、名高い図書館の一部はカールスルーエの州立図書館に移された。1838年に島と対岸を結ぶ堤道ができ、島は2000年に世界遺産に登録された。今は野菜の栽培でも知られる。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。