写真: 「Catania panorama」stefan_fotos from Leipzig, Germany / CC BY-SA 2.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり
ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々(シチリア島南東部)
Late Baroque Towns of the Val di Noto
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時間の物差し
前3000年起点 1693年現在
成り立ち
1693年1月11日夜、シチリア島南東部を大地震が襲った。推定マグニチュード7.4はイタリアの記録に残る最大の地震で、少なくとも70の町が壊滅した。当時の公式記録では、カターニアだけで約12,000人、人口の63%が死んだ。
当時のシチリアはスペイン王の統治下にあり、副王ウセダ公はカマストラ公ジュゼッペ・ランツァに復興の指揮を委ねた。町の再建には三つのやり方があった。ノートは元の町を捨てて新しい土地に移り、カターニアは同じ場所に新しい計画で建て直され、ラグーザは古い町の隣に新しい中心を築いた。
ノートの新市街はジョヴァンニ・バッティスタ・ランドリーナの格子状の計画にもとづき、斜面を舞台装置のように使って築かれた。1698年にシラクーザで生まれた建築家ロザリオ・ガリアルディは市の建築家となり、ノートのサン・ドメニコ教会(1727年)などを手がけた。2002年、カルタジローネ、ミリテッロ・イン・ヴァル・ディ・カターニア、カターニア、モディカ、ノート、パラッツォーロ・アクレイデ、ラグーザ、シクリの8つの町が世界遺産に登録された。
ここに来た旅人
- 1787-05
ビスカリ公の宮殿の博物館で大理石とブロンズの古代彫刻を見て、とくにユピテルのトルソに心を奪われた。
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