StoodmarkEN
コトルの自然と文化歴史地域
写真: 「20090719 Crkva Gospa od Zdravlja Kotor Bay Montenegro」User:Ggia / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

コトルの自然と文化歴史地域

Natural and Culturo-Historical Region of Kotor
定番WHC 1251979年登録42.43°N 18.77°EWikipedia 80言語

Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。

時間の物差し
前3000年起点 前168年現在

成り立ち

コトルはモンテネグロのアドリア海岸、高さ1,500m近い山々に囲まれたコトル湾の奥にある。ローマ時代にはアクルウィウムなどと呼ばれ、紀元前168年に初めて記録に現れる。535年には東ローマ皇帝ユスティニアヌスが町の上に要塞を築いた。

1166年に聖トリプン大聖堂が建てられ、1185年にはセルビアのステファン・ネマニャが町を征服した。1420年から1797年まではヴェネツィア共和国の領土で、ヴェネツィアの南アドリア海の拠点として石工やイコン画、金細工の工房が栄えた。町の背後の山腹には全長4.5kmの城壁がのびる。

町は1563年と1667年の地震でほぼ壊滅し、1979年の地震でも多くの建物が大きな被害を受けた。同じ1979年に世界遺産と危機遺産に同時に登録され、ユネスコの支援で修復が進んだ結果、2003年に危機遺産から外れた。現在は観光開発や沿岸の建設が新たな課題になっている。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。