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平泉
写真: 「Hiraizumi's surroundings, Iwate Prefecture; August 2018 (03)」_steffen / CC BY-SA 2.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

平泉

Hiraizumi – Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the Buddhist Pure Land
WHC 12772011年登録38.99°N 141.11°EWikipedia 27言語

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時間の物差し
前3000年起点 1100年現在

成り立ち

平泉は11〜12世紀、京都と並ぶ北日本の政治の中心だった。1100年ごろ、藤原清衡が豊田館から関山へ本拠を移し、そこに中尊寺を建てた。奥州藤原氏は清衡、基衡、秀衡、泰衡の4代約100年にわたって栄え、その基盤は奥州で採れる砂金と北方との交易だった。

中尊寺金色堂は1124年に完成し、金箔、螺鈿、漆で飾られた。堂内には清衡、基衡、秀衡の遺体と泰衡の首が納められている。『吾妻鏡』によれば、寺にはかつて40以上の堂塔と300以上の僧坊があった。

秀衡は源義経をかくまい、源頼朝の引き渡し要求を拒み続けた。秀衡の死後、泰衡は1189年に義経を自害に追い込んだが、頼朝は同じ年に兵を出し、奥州藤原氏は滅んだ。1337年の火災で中尊寺の多くが焼けたが、金色堂は1288年に木造の覆堂で囲われており、1965年からはコンクリートの建物に収められている。1689年に訪れた松尾芭蕉は「夏草や兵どもが夢の跡」と詠み、2011年、中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山が世界遺産に登録された。

ここに来た旅人

  1. 1689-06

    中尊寺を訪れ、金色堂を「五月雨の降り残してや光堂」と詠んだ。

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