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エルサレムの旧市街とその城壁群
写真: 「Old City of Jerusalem and its Walls-108369」Leila Maziz / CC BY-SA 3.0 igo / Wikimedia Commons · トリミングあり

エルサレムの旧市街とその城壁群

Old City of Jerusalem and its Walls
定番WHC 1481981年登録31.78°N 35.23°EWikipedia 83言語

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成り立ち

エルサレムの旧市街は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地である。城壁の内側にはユダヤ教の神殿の丘と嘆きの壁、キリスト教の聖墳墓教会、イスラム教の岩のドームとアル・アクサー・モスクの敷地があり、ユネスコは220の歴史的建造物を数える。多くの考古学者は、神殿の丘の南にある「ダビデの町」が青銅器時代と鉄器時代の町の中心だったと考えている。前586年頃に新バビロニアが第一神殿を破壊したあと、前516年に第二神殿が完成し、のちにヘロデ王が神殿の丘を広げて神殿を建て直した。

637年、第2代カリフのウマルのもとでイスラム勢力が町を治めるようになり、カリフのアブドゥルマリクの時代に岩のドームが今の形で建てられた。1099年に第1回十字軍が町を奪い、1187年10月2日にサラディンが奪い返した。1535年、オスマン帝国のスレイマン1世は崩れていた城壁の再建を命じ、全長4018m、平均の高さ12m、34の見張り塔をもつ今の城壁ができた。

1948年の第一次中東戦争のあと旧市街はヨルダンの支配下に入り、1967年の第三次中東戦争でイスラエルが東エルサレムを占領した。1980年にヨルダンが世界遺産への登録を提案し、旧市街と城壁は1981年に登録された。1982年にはヨルダンの要請で危機遺産リストに加えられ、アメリカはヨルダンに申請の資格はなく、町を実際に管理するイスラエルの同意が要るとして反対した。ユネスコの一覧では、この遺産の所在は国名ではなく「エルサレム(ヨルダンによる申請)」と記されている。

ここに来た旅人

  1. 1867-09

    9月23日の正午に着き、メディテラニアン・ホテルに泊まった。翌日は聖墳墓教会などを見て回り、母への土産に聖書を買って「カルヴァリの丘、1867年9月24日」と刻ませた。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。