StoodmarkEN

歴史の旅人のパスポート

マーク・トウェイン

クエーカー・シティ号の旅(『イノセント・アブロード』) · 1867

16か国
35地点
0.6地球◯周分

地点を順に直線で結んだ距離

🇺🇸 🇵🇹 🇬🇮 🇲🇦 🇫🇷 🇮🇹 🇬🇷 🇹🇷 🇺🇦 🇱🇧 🇸🇾 🇮🇱 🇵🇸 🇪🇬 🇪🇸 🇧🇲

1867年6月8日、蒸気船クエーカー・シティ号は観光客を乗せてニューヨークを発ち、ヨーロッパ、黒海、聖地、エジプトを巡って11月19日にニューヨークへ戻った。トウェインはサンフランシスコの新聞デイリー・アルタ・カリフォルニアの通信員として乗船し、船から手紙を書き送った。その手紙をもとに1869年の旅行記『イノセント・アブロード』が書かれた。

  1. 1867-06
    🇺🇸 ニューヨーク

    6月8日、クエーカー・シティ号はおよそ75人の観光客を乗せて出航した。翌日のニューヨーク・タイムズは、マルセイユ、ナポリ、コンスタンティノープル、アレクサンドリアを回る予定表を載せた。

    出典地図 ↗
  2. 1867-06
    🇵🇹 オルタ(ファイアル島)

    予定ではサン・ミゲル島に寄るはずだったが、嵐のためいちばん近いファイアル島に逃げ込み、6月21日の朝にオルタ沖に錨を下ろした。トウェインはその日を陸で過ごし、家族への手紙を書き始めた。

    出典地図 ↗
  3. 1867-06
    🇬🇮 ジブラルタル

    6月29日の朝に着いた。仲間とロバやラバに乗って急な坂道を上り、英国軍が岩を爆破して掘った地下の坑道に入った。

    出典地図 ↗
  4. 1867-06
    🇲🇦 タンジール

    6月30日、6人の乗客と小さな汽船で海峡を渡り、ロイヤル・ヴィクトリア・ホテルに泊まった。市場でムーア風の衣装を買い、船に戻ってから甲板の仮装舞踏会でそれを着た。

    出典地図 ↗
  5. 1867-07
    🇫🇷 マルセイユ

    7月4日の夜に着き、市内でいちばん大きなグラン・オテル・デュ・ルーヴル・エ・ド・ラ・ペに部屋を取った。翌5日の夜、列車でパリへ向かった。

    出典地図 ↗
  6. 1867-07
    🇫🇷 パリ ›

    7月6日から12日まで、リヴォリ通りの700室あるグラン・オテル・デュ・ルーヴルに泊まった。旅行記では万国博覧会、閲兵式で見たナポレオン3世とトルコのスルタン、ノートルダム大聖堂を書いている。

    出典地図 ↗
    BANKS OF THE SEINEFRANCE · WHC 600186748.85°N 2.36°E
  7. 1867-07

    7月14日の朝に着いた。家族への手紙で「宮殿の古い町」を歩き回って疲れ果てたと書き、夜10時までガス灯のともる公園でワインを飲む人々の中に座っていた。

    出典地図 ↗
    GENOAITALY · WHC 1211186744.41°N 8.93°E
  8. 1867-07
    🇮🇹 ミラノ ›

    7月16日の夜に列車で着いた。旅行記では『最後の晩餐』について、壁画は傷だらけで色あせ、ナポレオン軍の馬が弟子たちの脚を蹴り落としたと書いた。

    出典地図 ↗
    SANTA MARIA DELLE G…ITALY · WHC 93186745.47°N 9.17°E
  9. 1867-07

    ジェノヴァからの鉄道の旅で1日か2日ずつ立ち寄った町の一つである。旅行記ではゴンドラとサン・マルコ広場に2章を充てた。

    出典地図 ↗
    VENICE AND ITS LAGO…ITALY · WHC 394186745.43°N 12.32°E
  10. 1867-07

    サンタ・クローチェ教会でガリレオの墓とダンテの墓を見た。ある晩9時に細い路地で道に迷い、明け方3時近くまで歩き回ったと旅行記に書いている。

    出典地図 ↗
    FLORENCEITALY · WHC 174186743.77°N 11.26°E
  11. 1867-07
    🇮🇹 ピサ ›

    7月25日ごろ、リヴォルノで船に戻る途中に立ち寄り、斜塔の頂上まで登った。洗礼堂ではガリレオに振り子を思いつかせたとされるランプを見たと書いている。

    出典地図 ↗
    PIAZZA DEL DUOMOITALY · WHC 395186743.72°N 10.39°E
  12. 1867-07
    🇮🇹 ローマ ›

    7月26日、検疫を避けるためリヴォルノからフランスの汽船でチヴィタヴェッキアへ渡り、鉄道でローマに入った。旅行記ではサン・ピエトロ大聖堂と崩れたコロッセオを書いている。

    出典地図 ↗
    ROMEITALY · WHC 91186741.89°N 12.49°E
  13. 1867-08
    🇮🇹 ナポリ ›

    8月1日ごろ着き、船が検疫を終えるまで市内に部屋を借りた。9日には国王の宮殿を見に行き、ワシントンで上院議員の秘書になる話を受けると手紙に書いた。

    出典地図 ↗
    NAPLESITALY · WHC 726186740.85°N 14.26°E
  14. 1867-08
    🇮🇹 ヴェスヴィオ山

    8月9日の夜遅く、男女8人の一行で登山に出発した。旅行記では山頂にたどり着き、火口の様子を書いている。

    出典地図 ↗
  15. 1867-08

    8月14日、船はピレウスでコレラの検疫のため上陸を禁じられた。トウェインは仲間3人と夜中にこっそり上陸してアクロポリスに入り、月明かりのパルテノンの下に広がるアテネをノートに書いた。

    出典地図 ↗
    ACROPOLIS OF ATHENSGREECE · WHC 404186737.97°N 23.73°E
  16. 1867-08

    8月17日の夜明けに金角湾の入り口に錨を下ろした。アヤソフィアを訪れたが、ノートには「大騒ぎするほどのものは何もなかった」と書いた。

    出典地図 ↗
    ISTANBULTURKEY · WHC 356186741.01°N 28.98°E
  17. 1867-08
    🇺🇦 セヴァストポリ

    8月21日、1854〜55年の包囲戦で壊れた町の跡を見て回った。司令官や町の人々が船を訪れ、皇帝のいるヤルタへ行くよう勧めた。

    出典地図 ↗
  18. 1867-08

    8月23日に錨を下ろしたが、旅券を取り上げられ上陸に手間取った。ノートには広く舗装された通りと石造りの家並みを記し、旅行記では「アメリカしか見えなかった」と書いた。

    出典地図 ↗
    HISTORICAL CITY CEN…UKRAINE · WHC 1703186746.48°N 30.74°E
  19. 1867-08
    🇺🇦 ヤルタ(リヴァディア宮殿)

    8月26日、一行は夏の離宮で皇帝アレクサンドル2世一家に迎えられた。トウェインは皇帝への挨拶文を委員会の名で一人で書き、文はオデッサの米国領事が読み上げた。

    出典地図 ↗
  20. 1867-09
    🇹🇷 スミルナ(イズミル)

    9月5日に着いた。アルタ紙への手紙で、ここに黙示録の七つの教会の一つがあったと書き、海面から500フィートの崖にカキ殻の層が3本見えたと報告した。

    出典地図 ↗
  21. 1867-09

    9月6日、乗客全員で鉄道に乗り、約45マイル離れた古代エフェソスの遺跡へ行った。旅行記ではロバに乗った一行の行列と七人の眠り人の伝説を書いている。

    出典地図 ↗
    EPHESUSTURKEY · WHC 1018186737.93°N 27.36°E
  22. 1867-09
    🇱🇧 ベイルート

    9月10日に着き、8人で通訳兼案内人と契約して、馬とテントで約3週間かけて聖地を回ることにした。翌11日の午後に出発した。

    出典地図 ↗
  23. 1867-09

    9月13日の午前11時に遺跡に着き、3〜4時間かけて神殿跡と石切り場を歩いた。そのあと7時間馬に乗って野営地へ向かった。

    出典地図 ↗
    BAALBEKLEBANON · WHC 294186734.02°N 36.20°E
  24. 1867-09

    9月15日の朝4時に体調を崩し、一日寝て過ごした。ノートには「ダマスカスはもう十分だ」と書き、16日の昼に町を発った。

    出典地図 ↗
    DAMASCUSSYRIA · WHC 20186733.51°N 36.31°E
  25. 1867-09
    🇮🇱 ティベリアス(ガリラヤ湖)

    9月19日にガリラヤ湖のほとりに着き、カペナウムとマグダラを通ってティベリアスに至った。翌20日の朝食前に湖で泳いだ。

    出典地図 ↗
  26. 1867-09

    9月23日の正午に着き、メディテラニアン・ホテルに泊まった。翌日は聖墳墓教会などを見て回り、母への土産に聖書を買って「カルヴァリの丘、1867年9月24日」と刻ませた。

    出典地図 ↗
    JERUSALEM AND ITS W…ISRAEL · WHC 148186731.78°N 35.23°E
  27. 1867-09
    🇵🇸 エリコ

    9月25日、エルサレムから古代エリコとエリシャの泉を訪ね、泉の池でモザイクを見つけたとノートに書いた。この日のうちにヨルダン川と死海にも向かった。

    出典地図 ↗
  28. 1867-09

    9月26日、朝3時に起きてマル・サバ修道院から山道を進み、ミルク・グロットと降誕教会を訪れた。ノートには降誕の場所や飼い葉桶を書き留め、昼食をとってエルサレムへ戻った。

    出典地図 ↗
    CHURCH OF THE NATIV…PALESTINE · WHC 1433186731.70°N 35.21°E
  29. 1867-10
    🇪🇬 アレクサンドリア

    船は10月2日に着き、トウェインは3日に上陸した。ノートにはカタコンベ、ポンペイの柱、クレオパトラの針の名を書き留めている。

    出典地図 ↗
  30. 1867-10

    10月4日に鉄道でカイロへ行き、5日にロバでナイルを渡ってギザへ向かった。クフ王のピラミッドに登り、内部にも入り、スフィンクスを見た。

    出典地図 ↗
    MEMPHIS AND ITS NEC…EGYPT · WHC 86186729.98°N 31.13°E
  31. 1867-10
    🇪🇸 マラガ

    10月17日、船長とともに監視付きで上陸し、入港の許可を待った。エジプトから来た船への検疫が厳しく投錨を断られたため、グラナダのアルハンブラ見物はかなわなかった。

    出典地図 ↗
  32. 1867-10

    ジブラルタルから馬と馬車と鉄道を乗り継ぎ、10月19日の真夜中ごろ着いた。最初の朝にアルカサルを見て、その中庭と庭園は「ハシーシュの幻」として記憶に残るだろうと書いた。

    出典地図 ↗
    CATHEDRALSPAIN · WHC 383186737.38°N 5.99°W
  33. 1867-10

    10月22日に鉄道でセビリアから着き、古風なスペインの宿に1泊した。のちの原稿で、外国人を見慣れない町の人々が一行の後をついて回ったと書いた。

    出典地図 ↗
    CÓRDOBASPAIN · WHC 313186737.88°N 4.78°W
  34. 1867-10
    🇪🇸 カディス

    ヘレスに寄ってから10月24日に着いた。家族への短い手紙で、船が翌日ここで一行を拾うと書いた。

    出典地図 ↗
  35. 1867-11

    11月11日の朝に着き、14日に発つ予定だったが、13日の強風で出航は15日に延びた。家族には、大嵐の間ずっとバミューダにいられて幸運だったと書いた。

    出典地図 ↗
    ST GEORGE AND RELAT…UK · WHC 983186732.38°N 64.68°W