ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
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成り立ち
伝説では、ローマは前753年に建てられた。町はまず共和政ローマの、続いてローマ帝国の中心となり、4世紀にはキリスト教世界の首都となった。271〜275年、皇帝アウレリアヌスは町を囲む城壁を築き、ケスティウスのピラミッドや水道橋の一部など既存の建物まで壁に組み込んだ。壁のおよそ6分の1は、こうした既存の建造物だったと見積もられている。
1980年、城壁内の歴史地区が世界遺産に登録された。1990年には範囲が17世紀の教皇ウルバヌス8世の城壁まで広げられ、ローマ市内にある教皇庁の治外法権の建物とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂が加わった。教皇庁とイタリアの関係は、1929年2月11日にラテラノ宮殿で調印されたラテラノ条約で定められ、治外法権をもつ建物もこの条約に記されている。
サン・パオロ大聖堂は、使徒パウロの埋葬地とされる場所にコンスタンティヌス帝が建て、324年に教皇シルウェステルが献堂したとされる。386年にはテオドシウス1世がはるかに大きな聖堂の建設を始めた。1823年7月15日、屋根の修理中に出た火で聖堂はほぼ全焼し、今の建物は19世紀に建て直されたものである。
ここに来た旅人
- 1786-10
10月29日にポポロ門から入り、はじめは宿屋アルベルゴ・デッロルソに泊まったが、まもなくコルソ通りの画家ティッシュバインの住まいに移った。
- 1840-12
12月19日から2月24日まで滞在し、トーヴァルセンのアトリエを訪ね、2月13日から23日まではカーニバルを見た。悪天候、歯痛、本国からの悪い知らせに悩まされた滞在でもあった。
- 1867-07
7月26日、検疫を避けるためリヴォルノからフランスの汽船でチヴィタヴェッキアへ渡り、鉄道でローマに入った。旅行記ではサン・ピエトロ大聖堂と崩れたコロッセオを書いている。
- 1873-05
国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に国書を奉呈した。サン・ピエトロ大聖堂、ヴァチカン美術館、コロッセオ、カラカラ浴場を見学した。
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