StoodmarkEN

歴史の旅人のパスポート

ハンス・クリスチャン・アンデルセン

『詩人のバザール』の旅 · 1840–1841

11か国
28地点
0.2地球◯周分

地点を順に直線で結んだ距離

🇩🇰 🇩🇪 🇮🇹 🇲🇹 🇬🇷 🇹🇷 🇷🇴 🇷🇸 🇭🇺 🇦🇹 🇨🇿

1840年10月31日、35歳のアンデルセンはコペンハーゲンを発ち、1841年7月13日にデンマークへ戻るまで、ほぼ1年をかけてドイツ、イタリア、マルタ、ギリシャ、コンスタンティノープルを巡り、黒海からドナウ川をさかのぼってウィーン、プラハ、ドレスデンを経て帰った。旅費は戯曲『混血児』の収入でまかなう予定だったが、『ムーア人の娘』の不入りで足りなくなり、コンスタンティノープルまで行くため国王に旅費の補助を願い出た。この旅の記録が1842年4月30日刊行の『詩人のバザール』である。

  1. 1840-10
    🇩🇰 コペンハーゲン

    10月31日、ほぼ1年に及ぶ旅に出た。少なくとも前半の費用は戯曲『混血児』の収入でまかなうつもりだった。

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  2. 1840-11
    🇩🇪 ブライテンブルク(イツェホー近郊)

    11月3日から4日まで、ブライテンブルクの領主コンラート・ランツァウ伯爵のもとに泊まった。

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  3. 1840-11
    🇩🇪 ハンブルク

    11月6日、「青年ドイツ派」の作家グツコーを訪ね、演奏会でフランツ・リストのピアノを聴いた。

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  4. 1840-11
    🇩🇪 ブラウンシュヴァイク

    11月9日、出版者フィーヴェークを訪ねた。

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  5. 1840-11
    🇩🇪 マクデブルク

    11月10日、生まれて初めて汽車に乗り、約110km先のライプツィヒまで朝7時から10時半ごろまでかかった。『詩人のバザール』の章「鉄道」で、鉄道を「精神の傑作」と呼んだ。

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  6. 1840-11
    🇩🇪 ライプツィヒ

    11月11日、ゲヴァントハウスでベートーヴェンの交響曲第7番を稽古中のメンデルスゾーンを訪ね、その後ブロックハウス家で食事をした。

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  7. 1840-11
    🇩🇪 ニュルンベルク

    11月14日、書籍商カンペを訪ねた。

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  8. 1840-11
    🇩🇪 ミュンヘン

    11月17日から12月1日まで滞在した。27日に画家カウルバッハのアトリエを訪ね、生涯の友となった。29日には哲学者シェリングを訪ねた。

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  9. 1840-12

    インスブルック、ブレンナー峠、ヴェローナ、ボローニャを経て12月12日から13日に着いた。『詩人のバザール』に収めた「青銅のいのしし」は、市場の前に立ち、水を飲む人々に鼻先を磨かれたこの町の青銅のいのししの泉から始まる。

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    FLORENCEITALY · WHC 174184043.77°N 11.26°E
  10. 1840-12
    🇮🇹 ローマ ›

    12月19日から2月24日まで滞在し、トーヴァルセンのアトリエを訪ね、2月13日から23日まではカーニバルを見た。悪天候、歯痛、本国からの悪い知らせに悩まされた滞在でもあった。

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    ROMEITALY · WHC 91184041.89°N 12.49°E
  11. 1841-02
    🇮🇹 ティヴォリ

    2月11日から12日、詩人ホルストと神学者ローテに同行し、たいまつの明かりで噴水を見た。

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  12. 1841-02
    🇮🇹 ナポリ ›

    ホルスト、ローテとともにテッラチーナ、モーラ・ディ・ガエータを経て2月28日に着いた。3月15日、アテネ行きの汽船レオニダス号で発った。

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    NAPLESITALY · WHC 726184140.85°N 14.26°E
  13. 1841-03

    3月8日、ナポリから足をのばして遺跡を訪れた。

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    POMPEIITALY · WHC 829184140.75°N 14.48°E
  14. 1841-03
    🇲🇹 マルタ

    3月17日、レオニダス号で着き、翌18日にギリシャへ向けて発った。

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  15. 1841-03
    🇬🇷 シロス島(シラ)

    ここで汽船リュクルゴス号に乗り換えてピレウスへ向かった。

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  16. 1841-03
    🇬🇷 ピレウス

    アテネに入る前に、ここで検疫を受けた。

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  17. 1841-03
    🇬🇷 アテネ

    3月24日に着き、建築家のハンセン兄弟に町を案内され、26日には兄クリスチャンが設計した大学の建物を見せてもらった。4月6日に独立記念の祝典を見て、14日には国王オソンの夜会に出た。

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  18. 1841-04
    🇹🇷 スミルナ(イズミル)

    4月22日、シロス島から汽船ラムセス号でスミルナへ向かう途中、嵐で最期を覚悟した。『詩人のバザール』に収めた「ホメロスの墓のバラ」は、スミルナ近くを舞台にしている。

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  19. 1841-04

    ダーダネルス海峡を抜け、ガリポリを過ぎて4月25日に着いた。5月5日、汽船フェルディナント1世号でボスポラス海峡を通って黒海へ出た。

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    ISTANBULTURKEY · WHC 356184141.01°N 28.98°E
  20. 1841-05
    🇷🇴 キュステンジェ(コンスタンツァ)

    黒海を渡ってここに着き、5月7日にドナウ川の船アルゴ号に乗り込んで川をさかのぼり始めた。

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  21. 1841-05
    🇷🇴 鉄門

    5月8日にルセを過ぎ、11日から12日にかけて鉄門の峡谷を抜けてオルショヴァへ向かった。

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  22. 1841-05
    🇷🇴 オルショヴァ

    5月24日までここにとどまり、そこから馬車でドレンコヴァへ行って汽船ガラテア号に乗り継いだ。

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  23. 1841-05
    🇷🇸 ゼムン(ゼムリン)

    ガラテア号でベオグラードを経てブダペストへ向かう途中、ゼムンに滞在した。

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  24. 1841-05

    5月31日から6月2日まで滞在し、2日に汽船マリア・アンナ号でプレスブルクを経てウィーンへ向かった。

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    BUDAPESTHUNGARY · WHC 400184147.48°N 19.07°E
  25. 1841-06

    6月4日に着いた。11日にフォルクスガルテンでヨハン・シュトラウス(父)の演奏を聴き、11日と22日に詩人グリルパルツァーを訪ねた。

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    VIENNAAUSTRIA · WHC 1033184148.21°N 16.37°E
  26. 1841-06
    🇨🇿 プラハ ›

    6月25日に着き、ネストロイが自作の民衆喜劇に出演する舞台を見た。28日、汽船ベーミア号でエルベ川を行き、ドレスデンへ向かった。

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    PRAGUECZECH REPUBLIC · WHC 616bis184150.09°N 14.42°E
  27. 1841-06
    🇩🇪 ドレスデン

    6月29日に着き、画家J.C.ダールを訪ねた。7月2日には画家フォーゲル・フォン・フォーゲルシュタインが王室の収集のために彼を描いた。

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  28. 1841-07
    🇩🇰 オーデンセ

    7月12日にハンブルクを発ち、キールから汽船でオーロスンへ渡り、アッセンスを経て生まれ故郷に着いた。14日から17日まで滞在し、ハンク家などを訪ねた。

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