写真: Giovanni Dall'Orto / Attribution / Wikimedia Commons · トリミングあり
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
Santa Maria delle Grazie
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時間の物差し
前3000年起点 1463年現在
成り立ち
ミラノ公フランチェスコ1世スフォルツァの命で、聖母マリアの礼拝堂があった場所にドミニコ会の修道院と教会が建てられた。建築家グイニフォルテ・ソラーリが1463年に着工し、修道院は1469年までに完成した。
ルドヴィーコ・スフォルツァは教会を一族の墓所にしようと後陣と回廊を建て直し、この改築はブラマンテによるものとされる。ルドヴィーコの依頼で、レオナルド・ダ・ヴィンチは1495年ごろから1498年にかけて食堂の壁に「最後の晩餐」を描いた。フレスコではなく乾いた壁にテンペラで描いたため、完成直後から絵具がはがれ始めた。
1943年8月15日の連合軍の空襲で食堂の大部分が崩れたが、土嚢で守られた壁画の壁は残った。1978年から1999年まで21年かけた修復で、18〜19世紀の塗り直しが取り除かれた。1980年に世界遺産に登録された。
ここに来た旅人
- 1867-07
7月16日の夜に列車で着いた。旅行記では『最後の晩餐』について、壁画は傷だらけで色あせ、ナポレオン軍の馬が弟子たちの脚を蹴り落としたと書いた。
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