ジェミラ
Djemila
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時間の物差し
前3000年起点 96年現在
成り立ち
ネルウァ帝の治世(96-98年)、標高900mの岩の尾根にローマの植民市クイクルが築かれた。最初の住民はイタリアから来たローマ兵の入植者だった。町は2つの涸れ川の間にあり、元老院と広場を持ち、穀物とオリーブで栄えた。
3世紀初め、町は城壁の外へ広がった。カラカラ帝の時代に古い城壁の一部が取り払われて新しい広場ができ、216年にはカラカラの凱旋門が建った。セプティミウス家の神殿(229年)や3000人を収める劇場も加わった。
4世紀にキリスト教が広まり、5世紀までに3つのバシリカと洗礼堂をもつ教会地区ができた。クイクルの司教は255年、348年、411年のカルタゴ教会会議に出た。町は5-6世紀に少しずつ見捨てられ、のちにこの地を治めたムスリムはジェミラと呼んだが住みはしなかった。発掘は1909年に始まり、1982年に世界遺産となった。
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