ティパサ (古代ローマ)
Tipasa
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時間の物差し
前3000年起点 前600年現在
成り立ち
ティパサは地中海岸の小さなフェニキア系(ポエニ)の交易所として始まった。ローマに征服されると、皇帝クラウディウスによってマウレタニア諸王国を征服するための軍事植民市とされ、のちにコロニア・アエリア・アウグスタ・ティパセンシウムとなった。町は海を見下ろす3つの丘の上に築かれ、約2,300mの城壁で囲まれた。
キリスト教は早く伝わり、237年または238年の墓碑はローマ領アフリカ最古のキリスト教墓碑である。4世紀には聖サルサのバシリカなど大きな聖堂が建ち、人口は約2万人に達したとされる。372年ごろベルベル人の反乱軍の攻撃に耐えたが、429年ごろヴァンダル人に征服され、530年ごろビザンツ帝国が再建した。
近くの丘には、マウレタニアのユバ2世とクレオパトラ・セレネ2世を葬ったとされる王家の霊廟がある。一辺約60mの方形の基壇をもつ石造の墓で、2人の遺骨は見つかっていない。遺跡は1982年に世界遺産に登録され、2002年に危機遺産となったが、保存の取り組みののち2006年に危機遺産から外れた。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。