ハンザ同盟都市リューベック
Hanseatic City of Lübeck
Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。
アプリで記録する
朱印・行きたい・立った年は、iPhoneアプリで記録します。
時間の物差し
前3000年起点 1143年現在
成り立ち
ドイツ北部バルト海沿岸のリューベックは、1143年にシャウエンブルク伯アドルフ2世がトラーヴェ川の中洲に開いた町である。1157年に火事で焼けた後、ハインリヒ獅子公が1159年に手に入れて建て直した。1226年、皇帝フリードリヒ2世は町を皇帝直属の帝国自由都市とした。
北海とバルト海を結ぶ交易路の上にあり、1230年から1535年までハンザ同盟の中心の町の1つで、「ハンザの女王」と呼ばれた。リューベック法はバルト海沿岸の100を超える町に取り入れられた。ハンザの会議は14世紀半ばからここで開かれ、最後の会議は1669年だった。
旧市街には15世紀から16世紀の商人の家、教会、塩の倉庫、れんがの門ホルステン門が残る。第二次世界大戦で町の約20%が壊され、大聖堂や聖マリア教会も被害を受けた。1987年に旧市街が世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。