写真: 「Archaeological Site of Carthage-130237」Christian Manhart / CC BY-SA 3.0 igo / Wikimedia Commons · トリミングあり
カルタゴ遺跡
Archaeological site of Carthage
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時間の物差し
前3000年起点 前900年現在
成り立ち
カルタゴは紀元前9世紀、チュニス湾に面して築かれた。紀元前6世紀からは地中海の広い範囲に交易の網を広げる大国となった。ローマとの長いポエニ戦争の末、紀元前146年、スキピオ・アエミリアヌスが丘の城塞ビュルサを包囲し、町は滅ぼされた。
紀元前122年にはガイウス・グラックスが貧しい農民のための植民市を置いたが、元老院に廃止された。紀元前49〜44年にユリウス・カエサルが町を「コロニア・ユリア・コンコルディア・カルタゴ」として再建し、廃墟の上にローマのカルタゴが生まれた。町はローマの属州アフリカの中心となり、アントニヌス・ピウス帝の時代にはアフリカで最大のローマ浴場が建てられた。
439年にヴァンダル人が町を奪って王国の都とし、533年にはベリサリウスが東ローマ帝国のために取り戻した。698年、ウマイヤ朝の軍がハッサーン・イブン・アン・ヌウマーンのもとで町を落とし、その多くを壊した。ビュルサの丘には1884年に聖ルイ大聖堂の建設が始まり、遺跡は1979年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。