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古都トレド
写真: 「Toledo - 02」Carlos Delgado / CC BY-SA 3.0 es / Wikimedia Commons · トリミングあり

古都トレド

Historic City of Toledo
WHC 3791986年登録39.86°N 4.02°WWikipedia 19言語

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時間の物差し
前3000年起点 前193年現在

成り立ち

トレドはマドリードの南約70kmにある町である。紀元前193年、ローマの将軍マルクス・フルウィウス・ノビリオルがこの近くでケルト系の連合軍を破った。ローマの自治都市となり、円形競技場、タホ川の橋、水道橋の跡が残る。6世紀には西ゴート王国の都となり、589年の会議で王レカレドがアリウス派からカトリックに改宗した。

711年か712年、ターリク・イブン・ジヤードがトレドを落とした。後ウマイヤ朝の要塞となり、999年にはバーブ・アル・マルドゥーム・モスクが完成した。1085年5月25日、カスティーリャ王アルフォンソ6世が町を取り、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒が共に暮らす「三つの文化の町」となった。翻訳学派がアラビア語やヘブライ語の書物を訳し、その知識はキリスト教世界のヨーロッパに広がった。

サンタ・マリア・ラ・ブランカとエル・トランシトのシナゴーグは、1492年にユダヤ教徒が追放されるまでの共同体を伝える。1519年から1561年までは皇帝カール5世のもとで最高権力の座が置かれたが、1561年にフェリペ2世が宮廷をマドリードへ移すと、町は衰えた。1986年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。