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ザモシチ旧市街
写真: 「Kamienice na Starym Mieście w Zamościu 02」MaKa / CC BY-SA 2.5 / Wikimedia Commons · トリミングあり

ザモシチ旧市街

Old City of Zamość
WHC 5641992年登録50.72°N 23.26°EWikipedia 19言語

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時間の物差し
前3000年起点 1580年現在

成り立ち

ザモシチはポーランド南東部の町で、1580年に大法官でヘトマン(軍総司令官)のヤン・ザモイスキが創設した。西欧・北欧と黒海を結ぶ交易路の上にあり、イタリアの「理想都市」の理論にならって設計された。設計と建設を担ったのは、パドヴァ出身の建築家ベルナルド・モランドである。

モランドは参事会教会(1587〜1598年)を建て、町は城壁で囲まれた。1594年にはザモイスキがザモシチ・アカデミーを開いた。1588年にはユダヤ人の居住が認められ、セファルディ系の人々が最初に住んだ。要塞は1648年のフメリニツキーのコサック軍、1656年のスウェーデン軍の包囲に耐えた。

1772年の第一次ポーランド分割でハプスブルク領となり、その後ロシア支配下の会議王国に入った。要塞は1866年に取り壊され、町は旧城壁の外へ広がった。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツは周辺の住民を追い出してドイツ人を入植させようとし、町を「ヒムラーシュタット」と改名した。当初の街路と多くの建物が残る旧市街は、1992年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。