パリのセーヌ河岸
banks of the Seine
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時間の物差し
前3000年起点 前52年現在
成り立ち
紀元前3世紀ごろからパリシイ族がこの地に住み、シテ島はセーヌ川を渡る交易路の拠点だった。前52年にカエサルがこの地方を征服し、ローマ人が左岸に広げた町はルテティアと呼ばれた。
1163年にシテ島でノートルダム大聖堂の建設が始まり、1853〜70年にはオスマンが市街を造り直した。1889年の万博でエッフェル塔が建ち、シュリー橋からイエナ橋までの両岸が1991年に登録された。
ここに来た旅人
- 1867-07
7月6日から12日まで、リヴォリ通りの700室あるグラン・オテル・デュ・ルーヴルに泊まった。旅行記では万国博覧会、閲兵式で見たナポレオン3世とトルコのスルタン、ノートルダム大聖堂を書いている。
- 1872-12
12月16日にロンドンを発ち、約2か月パリに滞在した。12月26日にティエール大統領を訪ね、凱旋門、ノートルダム大聖堂、ゴブラン織とセーヴル焼の工房を見学した。
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