ケレタロの歴史史跡地区
Historic Monuments Zone of Querétaro
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時間の物差し
前3000年起点 1531年現在
成り立ち
ケレタロはメキシコ中部、バヒオ地方の町である。スペイン人が来る前、この一帯にはオトミ族が住み、15世紀末にはアステカが直接治めていた。1531年7月25日、オトミ族の首長コニン、のちのエルナンド・デ・タピアがスペイン側について、サンティアゴ・デ・ケレタロの町が築かれた。コニンは先住民をサングレマルの丘のまわりに、スペイン人を今の中心部に住まわせた。
そのため町には、スペイン人の幾何学的な街路と、先住民地区の曲がりくねった路地が並んで残っている。17世紀から18世紀の繁栄期には、華やかなバロック様式の教会や邸宅が建った。1726年から1738年には、フアン・アントニオ・デ・ウルティア・イ・アラナがサンタ・クララ修道院の求めに応じ、74のアーチが1,280m続く水道橋を築いた。
1810年、町長の妻ホセファ・オルティス・デ・ドミンゲスの集まりから独立の陰謀が生まれた。発覚した後も彼女はミゲル・イダルゴに知らせを送り、イダルゴは独立の叫びを上げた。1867年、皇帝マクシミリアンはケレタロの包囲戦で捕らえられ、セロ・デ・ラス・カンパナスで処刑された。1917年2月5日には今も効力をもつ憲法がこの町で制定された。1996年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。