ドゥッガ
Dougga
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時間の物差し
前3000年起点 前139年現在
成り立ち
ドゥッガは、チュニジア北西部の標高571mの丘の上にあり、ハレド川の肥えた谷を見下ろす。ローマに併合される600年以上前から町があり、ヌミディア王国の重要な町だった。フォルムの下からは、ミキプサ王の治世10年目、紀元前139年に建てられたマシニッサ王の神殿が見つかっている。リビア文字、ポエニ文字、ギリシャ文字、ラテン文字の2000を超える碑文は、リビア文字の解読を助けた。
ローマの支配下では、もとからの住民とローマ市民の入植者が、別々の法的身分のまま約2世紀半同じ町に暮らした。205年、セプティミウス・セウェルス帝のもとで2つの共同体は1つの自治市となり、のちにガリエヌス帝のもとで植民市に昇格した。カピトリウム神殿、劇場、浴場など、公共建築の多くは2〜3世紀のものである。
4世紀から町は衰え、ビザンツ時代にはフォルムの周りが砦に変えられた。発掘は1901年から本格化し、リビア・ポエニ様式の霊廟は1908〜1910年に組み直された。最後の住民は平地の新しい村へ移され、1991年に国立考古学公園となった。1997年に世界遺産に登録された。
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