パエストゥムとヴェーリアの考古遺跡群やパドゥーラのカルトゥジオ修道院を含むチレントおよびヴァッロ・ディ・ディアーノ国立公園
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成り立ち
チレントは南イタリア・カンパニア州の山がちな地域で、UNESCOによれば25万年前から人が住んだ跡がある。東西に走る3つの尾根に聖所や集落が連なり、古代にはマグナ・グラエキアのギリシア植民市と、エトルリア人やルカニア人など土地の人々との境であった。登録範囲は15万9110ヘクタールに及び、一帯は前3世紀にローマの領土となった。
海辺のパエストゥムは、前600年ごろギリシアの植民市シュバリスから来た人々がポセイドニアの名で建てた町で、前550〜前450年ごろのドーリス式神殿3つがよく残る。前400年にルカニア人が町を奪い、前273年にはローマが支配して名をパエストゥムと改めた。ヴェリアは前6世紀後半にポカイアのギリシア人がエレアとして建てた町で、パルメニデスとその弟子ゼノンのエレア派哲学で知られる。
パエストゥムは中世に見捨てられて忘れられ、18世紀に再び知られると、その神殿は初期のギリシア復興様式の建築に影響を与えた。1968年6月3日には城壁の南で、前470年ごろに描かれた「ダイバーの墓」が見つかった。内陸のヴァッロ・ディ・ディアーノにあるパドゥーラのサン・ロレンツォ修道院は1306年に創建され、17〜18世紀にバロック様式の今の姿となった。一帯は1998年に世界遺産に登録された。
ここに来た旅人
- 1787-03
旅の素描係として雇った画家クニープと出かけ、クニープは往復の道中も神殿の輪郭を描き続けた。
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