古代都市テーベとその墓地遺跡
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成り立ち
テーベは古代エジプト人がワセトと呼んだ都市で、遺跡は現在のルクソールにある。紀元前3200年ごろから人が住んでいたが、古王国時代にはまだ小さな交易拠点だった。紀元前2050年ごろ、テーベを本拠とするメンチュヘテプ2世がエジプトを再統一し、中王国時代が始まった。
ヒクソスを追い出したイアフメス1世の時代から、テーベは新王国の首都となった。都の神アメンを祀るカルナック神殿は歴代の王に拡張され、アメンホテプ3世はルクソール神殿を、ラムセス2世は葬祭殿ラメセウムを建てた。ナイル西岸の約10平方kmには王家の谷をはじめ数千の墓と数十の神殿が造られた。
紀元前663年にアッシリア軍に略奪された後、テーベは政治の中心に戻らなかった。1世紀にはストラボンがただの村になったと記している。1979年に世界遺産に登録された。
ここに来た旅人
- 1828-11
1828-11 · テーベ西岸(クルナ、ラメセウム)11月20日の朝テーベに着いた。初日にクルナの神殿、メムノンの巨像、「オシマンディアスの墓」と呼ばれた神殿を見て、その壁に古代の名「ラメセウム」が書かれていることを確かめた。
1828-11 · ルクソールとカルナック11月23日に東岸へ渡り、ルクソール神殿の前に立つ高さ80ピエ近い2本のオベリスクを見たのち、カルナックへ行った。そこには「ファラオの壮麗さのすべて」が現れた、と書いた。
1829-03 · 王家の谷3月23日から、一行はラメセス4世の墓に住み、彩色浮彫に覆われた最初の3室を住まいにした。のちにセティ1世の墓から彩色浮彫を1枚切り取り、ルーヴルのために持ち帰った。
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