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古代都市テーベとその墓地遺跡
写真: 「Luxor temple27」I, Rémih / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

古代都市テーベとその墓地遺跡

Ancient Thebes with its Necropolis
定番WHC 8725.72°N 32.61°EWikipedia 88言語

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時間の物差し
前3000年起点 前3200年現在

成り立ち

テーベは古代エジプト人がワセトと呼んだ都市で、遺跡は現在のルクソールにある。紀元前3200年ごろから人が住んでいたが、古王国時代にはまだ小さな交易拠点だった。紀元前2050年ごろ、テーベを本拠とするメンチュヘテプ2世がエジプトを再統一し、中王国時代が始まった。

ヒクソスを追い出したイアフメス1世の時代から、テーベは新王国の首都となった。都の神アメンを祀るカルナック神殿は歴代の王に拡張され、アメンホテプ3世はルクソール神殿を、ラムセス2世は葬祭殿ラメセウムを建てた。ナイル西岸の約10平方kmには王家の谷をはじめ数千の墓と数十の神殿が造られた。

紀元前663年にアッシリア軍に略奪された後、テーベは政治の中心に戻らなかった。1世紀にはストラボンがただの村になったと記している。1979年に世界遺産に登録された。

ここに来た旅人

  1. 1828-11

    1828-11 · テーベ西岸(クルナ、ラメセウム)11月20日の朝テーベに着いた。初日にクルナの神殿、メムノンの巨像、「オシマンディアスの墓」と呼ばれた神殿を見て、その壁に古代の名「ラメセウム」が書かれていることを確かめた。

    1828-11 · ルクソールとカルナック11月23日に東岸へ渡り、ルクソール神殿の前に立つ高さ80ピエ近い2本のオベリスクを見たのち、カルナックへ行った。そこには「ファラオの壮麗さのすべて」が現れた、と書いた。

    1829-03 · 王家の谷3月23日から、一行はラメセス4世の墓に住み、彩色浮彫に覆われた最初の3室を住まいにした。のちにセティ1世の墓から彩色浮彫を1枚切り取り、ルーヴルのために持ち帰った。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。