ドゥブロヴニク旧市街
Old city (Dubrovnik)
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成り立ち
ドゥブロヴニクは、ラテン名ラグーザとして7世紀に起こったとされる。10世紀のビザンツ皇帝コンスタンティノス7世の記録によれば、南の町エピダウルムを追われた人々が岩の島に移り住んだのが始まりである。1296年の大火の後に新しい町割りが引かれ、1358年のザダル条約でヴェネツィアの支配を離れた。
ラグーザ共和国は海上交易と外交で栄え、15世紀から16世紀に最盛期を迎えた。町を囲む城壁は全長2km近く、陸側の厚さは4mから6mある。1667年の大地震では5000人以上が死に、公共建築の多くが倒れた。共和国は1808年に廃止された。
1979年に旧市街が世界遺産に登録された。1991年からの7か月にわたるユーゴスラビア人民軍による包囲で、旧市街は650発の砲弾を受け、1991年から1998年まで危機遺産に記載された。修復は元の様式に沿って行われ、主な工事は1995年から1999年に進められた。
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