カザン・クレムリン
Qazan Kremlin
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成り立ち
ヴォルガ川中流のカザンは、10世紀から13世紀にはヴォルガ・ブルガールの町で、堀と土塁と柵に囲まれた交易の集落があった。12世紀に白い石の砦が築かれ、のちにジョチ・ウルスとカザン・ハン国のもとで栄え、15世紀前半に国の都となった。
1552年、イヴァン雷帝がカザンを征服した。彼はプスコフの建築家たちを招いて城を石で建て直させ、1554年から1562年に生神女福音大聖堂が建てられた。カザンはヴォルガ地方のキリスト教の中心となった。
傾いたスユンビケの塔や、1843年から1853年の総督の宮殿も城内に立つ。イスラムが広がった北西の端と、プスコフ・ノヴゴロド様式の南の端が出会う場所として、2000年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。