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歴史の旅人のパスポート

アレクサンダー・フォン・フンボルト

南北アメリカ探検(ボンプランとともに) · 1799–1804

8か国
26地点
0.6地球◯周分

地点を順に直線で結んだ距離

🇪🇸 🇻🇪 🇨🇺 🇨🇴 🇪🇨 🇵🇪 🇲🇽 🇺🇸

1799年6月5日、プロイセンの博物学者フンボルトはフランスの植物学者エメ・ボンプランとともに、スペイン国王の許可を得てラ・コルーニャからピサロ号で出航した。費用はすべてフンボルトの私財でまかなわれた。2人はベネズエラのオリノコ川、キューバ、アンデス山脈、ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)、アメリカ合衆国を巡り、1804年にフランスへ戻った。旅の成果は、フンボルトが30年近くをかけて刊行した多巻本の旅行記(『新大陸赤道地方紀行』など)にまとめられた。

  1. 1799-06
    🇪🇸 ア・コルーニャ(ラ・コルーニャ)

    6月5日、出航の日に書いた手紙で、植物と化石を集め天体観測をするが、旅の主な目的は自然の諸力の相互作用を見ることだと述べた。

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  2. 1799-06

    6月20日、日の出前にサンタ・クルスから登った。港の暑さに比べて涼しい町で、人口9,000人のうち修道士が400人近くいると書いた。

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    SAN CRISTÓBAL DE LA…SPAIN · WHC 929179928.49°N 16.32°W
  3. 1799-06

    6月21日に山頂を目指して出発し、2つの傾いた岩が洞窟のようになった「イギリス人の野営地」で寒さに耐えて一夜を過ごした。翌日、火口を調べた。

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    TEIDE NATIONAL PARKSPAIN · WHC 1258179928.26°N 16.62°W
  4. 1799-07
    🇻🇪 クマナ

    船内でチフスが出たため、ハバナ行きの予定を変えて7月16日に上陸した。町の奴隷市場で奴隷の扱いを目にし、のちに奴隷制廃止を強く訴えるようになった。

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  5. 1799-09
    🇻🇪 グアチャロ洞窟(カリペ)

    9月18日、カリペ修道院の修道士たちと洞窟へ行った。入口のアーチは幅80フィート、高さ72フィートあり、縄で測りながら約430フィートまで松明なしで進んだ。ここにすむ夜行性の鳥アブラヨタカを学界に紹介した。

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  6. 1799-11
    🇻🇪 カラカス

    11月21日に着き、翌年2月初めまで滞在した。シージャ山に登る前夜の1月2日、麓のコーヒー農園でボンプランと一晩中、木星の衛星の掩蔽を観測した。

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  7. 1800-02
    🇻🇪 バレンシア湖

    湖の水位が急に下がった原因を調べ、森林の伐採で土壌が水を保てなくなったためだと考えた。人間の活動が気候を変えるという彼の考えはここで生まれたとされる。

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  8. 1800-03
    🇻🇪 カラボソ

    3月19日、地元の人々が野生の馬を沼に追い込んで電気ウナギを泥から追い出す「馬による漁」を見た。捕らえたウナギを調べ、2人とも強い電撃を受けた。

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  9. 1800-05
    🇻🇪 サン・カルロス・デ・リオ・ネグロ

    砦の司令官の家に3晩泊まった。ここでポルトガル領(ブラジル)へ入るのは政情から難しいと知らされ、アマゾン川を下る道はとらなかった。

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  10. 1800-05
    🇻🇪 エスメラルダ(オリノコ川上流)

    カシキアレ川を遡って5月20日にオリノコ川の分岐点に達し、オリノコ川とアマゾン川の水系がつながっていることを確かめた。分岐点の向かいの伝道村に着くと、矢毒クラーレの原料のつる草を集めて戻った先住民の祭りが開かれていた。

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  11. 1800-06
    🇻🇪 アンゴストゥーラ(シウダー・ボリバル)

    森の中の長い旅のあと、総督の食卓に小麦のパンを見た喜びを書いた。まもなく2人とも熱病にかかり、ボンプランは数週間危険な状態が続いたため、1か月この町にとどまった。

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  12. 1800-12
    🇨🇺 ハバナ ›

    ヌエバ・バルセロナから25日の航海を経て12月19日に着いた。最初の仕事として、ハバナの町と近くのグアナバコア、レグラなどを測量した。

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    OLD HAVANA AND ITS…CUBA · WHC 204180023.13°N 82.35°W
  13. 1801-03

    3月14日、カルタヘナへ向かう途中でグアウラボ川の港に寄り、町へ上った。夜の大半を観測に費やし、大聖堂の近くで町の緯度を求めた。

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    TRINIDAD AND THE VA…CUBA · WHC 460180121.80°N 79.98°W
  14. 1801-03

    3月30日に入港した。ここで相談した人々の勧めにより、パナマ地峡経由の船旅をやめ、ボゴタ、ポパヤン、キトを通ってアンデスを陸路でペルーへ向かうことに決めた。

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    PORTCOLOMBIA · WHC 285180110.42°N 75.53°W
  15. 1801-06
    🇨🇴 ホンダ

    マグダレナ川を遡る船旅の終点である。フンボルトは、20人の漕ぎ手のうち8人を途中に残し、同じ数が潰瘍を負って着いたと書いた。

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  16. 1801-07
    🇨🇴 ボゴタ

    7月6日に着き、9月8日まで滞在した。ヌエバ・グラナダ王立植物探検隊を率いる植物学者ムティスが、1783年から描かせてきた膨大な植物画を見せた。

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  17. 1802-01
    🇪🇨 キト ›

    1月6日に着き、フアン・ピオ・モントゥファルの屋敷に泊まった。その息子カルロス・デ・モントゥファルが以後の探検に加わった。

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    QUITOECUADOR · WHC 218020.22°S 78.51°W
  18. 1802-06
    🇪🇨 チンボラソ山

    6月23日、ボンプラン、モントゥファルとともに登り、通れない岩の裂け目に阻まれて引き返した。到達した高さ19,286フィートは当時の登山の最高記録だった。

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  19. 1802-10
    🇵🇪 リマ ›

    アマゾン川の源流域とカハマルカのインカ遺跡を経て、アンデスを4度越えてたどり着いた。ここで第2の探検は終わった。

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    LIMAPERU · WHC 500180212.05°S 77.04°W
  20. 1802-11
    🇵🇪 カヤオ

    11月9日、リマの外港で水星の太陽面通過を観測してリマの経度を定め、肥料としてのグアノの性質も調べた。

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  21. 1803-04
    🇲🇽 クエルナバカ

    メキシコ市へ向かう途中に訪れ、その気候に感心して「常春の町」と呼んだ。

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  22. 1803-04

    4月に着いて約9か月を過ごした。王立鉱山学校、王立植物園、サン・カルロス美術学院を挙げ、合衆国を含めて新大陸のどの都市もこれほどの学術施設を持たないと書いた。

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    MEXICO CITY AND XOC…MEXICO · WHC 412180319.42°N 99.13°W
  23. 1803-08

    8月8日、当時スペイン帝国でもっとも重要だったバレンシアナ銀山を訪れた。地質だけでなく鉱山全体と産出統計を調べ、『ヌエバ・エスパーニャ王国政治論』の鉱業の章にまとめた。

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    GUANAJUATO AND ADJA…MEXICO · WHC 482180321.02°N 101.26°W
  24. 1803-09
    🇲🇽 ホルージョ山

    9月19日、44年前に地中から現れた火山の山頂に登った。

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  25. 1804-05
    🇺🇸 フィラデルフィア

    ハバナから着き、化学者・解剖学者のキャスパー・ウィスター、植物学者ベンジャミン・スミス・バートン、独立宣言の署名者で医師のベンジャミン・ラッシュらと会った。

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  26. 1804-06
    🇺🇸 ワシントンD.C.

    6月1日、画家チャールズ・ウィルソン・ピールの案内で着き、ジェファーソン大統領とヌエバ・エスパーニャについて語り合った。財務長官ギャラティンは、2時間足らずで2年分以上の知識を得たと述べた。

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