日光の社寺
Shrines and Temples of Nikkō
Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。
時間の物差し
前3000年起点 700年現在
成り立ち
日光の山の斜面に最初の建物を建てたのは8世紀の仏僧である。寺伝では766年に勝道上人が四本龍寺を開いたとされ、勝道は782年に男体山に初めて登った。1616年6月1日に駿府で没した徳川家康は久能山に葬られたが、一周忌の後に日光に小堂を建ててまつるよう遺言していた。
1617年、2代将軍秀忠は天海に命じて家康を日光へ改葬し、朝廷は「東照大権現」の神号を贈った。3代将軍家光は1634年に日光を訪れ、1636年の二十一回神忌に向けて社殿の大造替を進めた。1645年に東照社は東照宮と改称し、1653年には家光の霊廟である大猷院が設けられた。1655年に寺は後水尾上皇から輪王寺の名を賜った。
遺産は二社一寺の103棟からなり、東照宮が42棟、二荒山神社が23棟、輪王寺が38棟で、うち9棟が国宝、94棟が重要文化財である。周りの杉林は東照宮の造営とともに17世紀初めに植えられた。1999年に世界遺産に登録された。
ここに来た旅人
- 1689
日光に1泊し、東照宮に詣でて「あらたふと青葉若葉の日の光」と詠んだ。
- 1878-06
金谷善一郎の家に部屋を借りて滞在した。東照宮の陽明門を毎日のように見に行き、見るたびに驚きが増したと書いた。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。